Director's profile院長プロフィル

院長あいさつ

院長 池 東晃(ジ ドンファン)

なぜこの仕事を選んだのか

サラリーマンとして働いていくのもよかったのですが、もっと自分の成果に対する顧客の声を聞きたかったのです。
そして、毎年のように何度もぎっくり腰を経験していたこともあり、1対1で密着したお仕事、その場でご意見や感想がきけるカイロプラクティックの道に進むこととなりました。
もともと体をほぐす、ほぐされるのは好きでしたので、この道への迷いはありませんでした。むしろ、同じ腰痛やぎっくり腰、その他の痛みや悩みなど、その方を喜ばせることができる!という楽しみが多かったです。

大川カイロプラクティック学院への入学はそんな私の気持ちとぴったりのところでした。大川代表も同じくぎっくり腰、そして会社員からカイロプラクターへ岐路を変えた方です。

カイロプラクターの経験

こうして得た、カイロプラクターの知識、痛みの経験は、直営院のつなしま整体院で活躍しました。
腰痛、頭痛、首・肩コリの方が一番多かったです。
また、「妊娠してから痛みなどに悩まされているが、妊娠しているので施術を受けられる整体院がない」と悩んでおられる方も多くいました。
産前マタニティで初めて来院された方が、出産後にお子さんと一緒に産後のケアで再び来院される事もあり、とても嬉しいです。
育児で疲れている方、お仕事で疲れている方、色々なストレスを抱えている方・・・
今は、お一人お一人と向き合い、その方の悩みを一緒に考えながらいろんな会話をし、そしてご意見やご感想を聞けることにやり甲斐を感じています。

目標
患者さんの笑顔、一緒に働いているスタッフの笑顔をいつまでも見つづけること!

韓国での幼少時代

韓国のソウル市で生まれ、幼い頃は外でよく遊びました。
自宅の近くには山があるので、家族や友達と山頂まで登ったり途中にある広場でバトミントンをよくやっていました。
特別にスクールなどで習っていませんがバトミントンは簡単に負けない自信あります!(笑)
車が好きで高校では自動車科を専攻しました。工業高校でしたのでやんちゃな生徒が多く、先生もそれなりに厳しかったのを憶えています。
夏休みは友達と工事現場でバイトしてお小遣いを稼いだり、いろんな思い出があります。
専門学校に進学後、軍隊に入隊。韓国人としては義務ですよね。
空軍で30ヶ月・・・当時はいつ兵役が終わるのか、その日ばかり数えていました(笑)

来院のきっかけ

軍隊で知ったのが、朝日新聞の新聞奨学生制度でした。
場所は海老名。朝夕刊と集金しながら青葉台にある日本語学校に2年間通いました。
今はビナウォークができており栄えていますが、当時はなかったですね。
日本語学校が終わり、海老名駅の近くにある精肉屋で売っているメンチカツを一つ購入!
お昼のおかずとして最高にうまいおかずでした~!
メンチカツにマヨネーズをかけて、ほかほかのご飯と一緒に食べるのが幸せ~♪

日本での生活

その後、町田に住まいを移し、今度は読売新聞でお世話になりながら大学に通いました。
それからIT企業へ就職。携帯電話を作る某メーカーの品質保証部に勤務していました。
韓国やアメリカとの取引があったため、当時は海外出張も多かったです。
韓国語を必要とする場面では通訳や翻訳も行いながら、品質保証としての業務を遂行していました。

2008年5月末には、韓国の新聞社で働いていた友人の頼みでこんな経験もしました。
新百合ヶ丘で行われた、韓国京畿道(キョンキド)エリアを日本に紹介するPRキャンペーン「韓国京畿道フェア」にて、
韓国京畿道と小田急商事間の調印式のメイン司会通訳をやったこともあります。

当時、人気のあったドラマ「宮廷女官チャングムの誓い(大長今)」のキョン・ミリさん(チェ尚宮)もサイン会で参加されていました。

韓国人の友達と日本の方の結婚式でも通訳をしたことありますが、
その頃はすでに日本語に慣れていたため、日本語を韓国語に通訳すべきところ、”日本語から日本語”に間違って通訳してしまいました。
会場の皆さんの笑い声が今でも鮮明に残っています。(笑)

私もその間、結婚をし子供二人にも恵まれ、家庭を持つことができました。
子供の出産がきっかけで一眼で撮った写真!できるだけカメラは使うようにしていますが、奥が深く難しいです。